2010年8月1日日曜日

人が食うもの・神が喰うもの 「食べる」思想

村瀬 学著

この本、面白い。とても面白かった。一言でどんな本と言われるとなんといっていいかわからない。食文化の歴史なんて本では全くないが、カニバリズムの本というのも違う、一口サイズの問題、神と人食など独特の考えで「食べる」という視点から色々な物事を見ている。

この本を本屋で見つけて少し気なった。その日は買わずに帰った。
しばらくてまた本屋に行くとこの本がまだあった。(私の行く本屋は小さいので、見つけても次に行くとないということが結構ある)再度表紙を開いて、目次を見てこれは今買うべきだと思った。

二度目に本屋に行く時までに私は「食べること」について、多くを考えさせられる経験をしていた。一つは亀を飼いだしたこと。二つ目はザ・コーブ」という映画を見たこと。

亀は金魚の餌のような亀用の配合飼料を食べるのだが健康のためにさまざまな餌、時には生餌を食べさせた方がいい。そのような餌をインターネットで検索していると、他の爬虫類が食べる餌にも出くわす。冷凍コオロギ、冷凍マウス、冷凍ヒヨコ、冷凍モルモットまである。私が飼っていたハムスターのような小さいねずみが毛が生えたまま餌用に冷凍されきれいに並べられ袋詰めにされ販売されているのである。亀もおそらく冷凍マウスくらいは食べると思うが買う気はしない。コオロギなら買える。冷凍小魚やエビは全く問題なく扱える。この違いは何か?哺乳類だとかわいそう?

かわいそう?かわいそう?かわいそう...?

ついこないだ食べたステーキはこれらと同様に食べられることを目的に飼育されてきた牛の肉である。つまり、ステーキを食べることは、例えば蛇の餌にヒヨコを買うことと良く似ている。私の食事に牛を買うのである。全く同じとは言えないとしても、少なくとも食べられる生き物の扱いは同じである。私が牛を食べるのはかわいそうではなくて、蛇の餌にヒヨコはかわいそう?

二つ目の経験、ザ・コーブというのは飼育していたイルカの死をきっかけにイルカの保護活動を始めたイルカの調教師が和歌山県太地町で行われているイルカ漁を許可なしで撮影したドキュメンタリー映画(のようなもの)である。調教師はアメリカのテレビドラマ「わんぱくフリッパー」で一躍有名になった人。この映画はどちらかというとイルカ調教師の個人的な問題を拡大させたものに思えるのであまり詳しく触れる気はないが、一般的にいうとイルカは食べるとかわいそうなのである。牛も食べるとかわいそうなはずである。(同じように牛の屠殺風景を見たらかわいそうなはずである。)
しかし鯨肉として売られている肉の中にはイルカの肉も含まれているそうだ。とすると私も食べたことがあるかもしれない。これが著者のいう一口サイズの問題である。

生き物として形があるものの命を奪って食べることはかわいそうであっても、一度一口サイズにされてしまえば何を食べているかわからない。

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巨大なワニだって「一口サイズ」になれば「食べちゃう」存在になる。ここに「心の反転」が起こる。「姿形をしている生き物」を見ている時には、あんな動物を食べるなんでそんなひどいことはできないわ、と言いながら、いざ「一口サイズ」になってお皿の上にちょこんと乗って出てくると、「おいしそう!」という感嘆の声を上げることになる。「可哀そう」の話が「おいしそう」の半紙にすりかわる。ここに「心の反転」が怒る。それは決してその人が悪いせいではない。

ここでいう「心の反転」というか、「心がすり替わる」仕組みは、本当に悩ましい仕組みである。食べる前は、動物は大事と言いながら、でも腹が空くと他の生き物を食べるのだが、その時に、他の生き物大事さを考えることがあっても、やはり食べてしまうと「ほっと」するのである。これはいかんともしがたい生体の仕組みだ。他のいのちを大事と考える心とさっさと食べてしまってほっとする心は、実は「折り合いがつかない」し、矛盾してしまうのである。でも、その矛盾した形そのものが、そもそも「いのち」としてのあり方になっているのである。

===

考えだしたらきりがない。可哀そうと食べることについてずっと考えていたら、いきあたったところは人間が捕食されないからではないかと思うようになった。もし人間が捕食される危機にさらされていたらそんなことは問題にならないと思う。淡々とそういうものだと受け止められるような気がする。地球上でおそらく捕って食われる危険にさらされていない生物というのは人間くらいじゃないだろうか?地震や洪水やハリケーンや戦争など命の危険にさらされることはあっても、捕食されるというのはまずない。他の生き物は捕って食べるけれど、捕って食べられる。

著者はこの本で一貫して何か主義主張みたいなもの説いているのではなく、淡々と事実を独自の視点で書いているように思う。そこがとてもいい。

また、人間が人間を食べる話も出てくる。人が人を食べる時にいつも神が関係すると。面白いのはアンデス山中飛行機墜落事故で食べ物がなくなり、一緒に搭乗していた亡くなった人を食べるという話。(有名な話で映画化されている)生存者の多くはカトリック信者で、救出後の記者会見で神の手に導かれ仲間を食べたと述べたらしい。その他にもアイヌの熊送り、マヤ文明の人身御供、アブラハムとイサクの献供物語など神と人を食べることについて取り上げられている。

ちなみに亀を狭いところで複数匹飼育しているとしっぽを食べてしまうというのはよくある話である。

そして絵本や童話の中からも食べるに関連した描写を見つけ書いてある。宮澤賢治のなめくぢの話はすごいとあるが、本当にすごいなと思う。

===
かたつむりがやって参りました。
その頃なめくぢは林の中では一番親切といふ評判でした。(略)
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もう死にます。さよなら。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。さあ。お立ちなさい。起こしてあげませう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ。」かたつむりは死んでしまひました。そこで銀色のなめくぢはかたつむりをペロリと喰べてしまひました。」
(宮澤賢治全集5 ちくま文庫 一九八六)
===

確かにこんな怖い文章はなかなかない。

それにしても、何がすごいかといえば私はこの著者の食べることを通してありとあらゆる世界を見ていると思わせるところである。儀式上のカニバリズムや一口サイズの問題までならばなんとなく普通だなと思うが、食べるを通して見る範囲が絵本や童話にまで及んでいる。すごい方だと思う。

私もこの著者のようにある一つの視点から様々な物事を見てみたいと思った。

2010年7月2日金曜日

人生と仕事について知っておいてほしいこと

松下幸之助著

まぁ、なんというかこの方の言葉が私は好きだ。本当に反省させられる。
昨年は自信を持つというのが仕事における私の達成すべき目標だったのだが、さて少し自信を持ち始めると人間というのは奢るものなのではないか。こういうところで未熟さを露呈することになるのだが、自分のやり方でやっていることを邪魔される(たように思う)と腹が立つ。なんで後から入社してきたのに我が物顔で命令するのだろうかと、しかし会社では面と向かって言えないし、それどころが本人は特に悪気がなく一生懸命仕事をしているだけである。だから怒るわけにもいかず、一人うらうら(?)と影で恨みが溜まるのである。つまりは言いたいことを平和を保ちながらいう技術がないのだ。

と話がそれたが、紹介したい文章がいっぱいの本である。若い人達に向けて語った言葉を主に集めた本だ。あえて紹介するならこちらかな。

勇気を持って「寝込みを襲う」ことができているか

私の宅に、ある会社の人が朝の七時ごろやって来る。門を開けるのを待っているんですね。「きみ、なんやね」「いや、平生会社で会えませんから、こういうときにははなはだ失礼で申し訳ないけれど、ぜひお目にかかりたい」「えらいきみ勉強家やね、なんやね」「実は私どものこれをひとつお勧めしたい」というのようなことを言って持ってくる。
「えらい早くから仕事して、きみ、つらいやろ」ときくと、「いや、ちっともつらいことありませんわ。これ面白いんです」と、こう言う。「きょうは社長に会えると思って面白うてやってます。もう希望で満ちてますねん」というようなことを言う。ほんとうはそうかどうかわからんけどね。そういうことを言うんやね。そうすると、「まあ、ちょっと上がりたまえ」となるわけやな。そこでそのものが成り立って成功ですわな。

この後松下さんの言いたいことが続く。朝早くに訪問して嫌がられないかなと考えながら行くと足も進まず成功しない。悪いことをしに行くのではないのだから、この商品を売って相手がどんなに幸せになるだろうかという心構えで売りに行く。いいことを与える、喜びを与えると考えながら行くと勇気凛々としていけると。

これは本当にそうで、例えばちょっとしたことでも「申し訳ないんですが」を強調すると相手もお前が悪いやろというような雰囲気が増長する。あっけらかんと、明るくしている方が相手もその空気に飲み込まれて、明るくなる。
そういえば、サービス業の接客でたいしたことではないのに「申し訳ございません」と悲しめの顔をして言われるとなんだか本当に悲惨な気がするもので、うっとおしいとまで思う。そんなに謝らなくてもいいじゃないか、世界が終わるわけでもあるまいし。

また話がそれたが、他にも日本人とはこの頃と変わっていないんだなと思う文が。

日本は、人が上に登ろうとするのを引っ張り下ろそうとする。だからなかなか上へ登れない。そうではなく、これが理想的な国柄であるというこで上へ上がりかけたら、「よし上がれ」と、こう言うて上がらせる。みな上がってくる。いちばん最後に「おれも引っ張ってくれ」とこうなる。全部石垣の上に上がってしまう。「上がってみると、むこうはきれいだなあ、面白いなあ」というよなものですわ。きわめて簡単なことです。きわめて簡単なことができないところに、私は国民性の弱点というものがあるように思うんです。

最近自分にも妬みや嫉妬という感情があることを改めて認識してしまったので、これは最近余計に納得する。スポーツ選手が日本を離れアメリカに行って大活躍することがあるが、こういった文化の違いが大きく影響しているのではと思う。

2010年6月30日水曜日

まだ科学で解けない13の謎

マイケル・ブルックス著

2010年6月19日土曜日

カメに100%喜んでもらう飼い方遊ばせ方

霍野晋吉著

2010年6月10日

ニホンイシガメというカメを飼い始めた。この本はタイトルに惹かれて買ってしまった。カメにとって居心地のいい環境を作りたいと思った。餌のあげ方などは参考になる。配合飼料と生の餌との割合など。残念なのは陸棲ガメと水棲ガメ両方についての本であるため、必要のない情報も結構あること。ただ、陸ガメにも興味が出たり、陸ガメの方が飼育費用も高く、飼育自体も難易度が高く、小亀となるとさらに難しいと分かったので、結果的によかった。水棲ガメ、特にニホンイシガメ専門の飼育書もどなたか書いてくれないでしょうか?

1冊10分で読める速読術

佐々木豊文著

2010年5月4日

ゴールデンウィークで実家に帰っていた時にテレビで速読について放送していた。気になって速読術について知りたいと思い読んでみたのだが、実際のところ訓練法についてはあまり詳しく書いていないため、残念。
速読というと要点をつかんで斜め読み飛ばし読みをするみたいな方法のものもあるが、これは文字を音声化せず読んで、脳の処理速度を速めるといった感じ。少しでも早くなるとすごく得をしそうだが、一人で継続的に訓練する気にはならず。この手法で速読を教えている学校があるので、そちらに通うのがいいのか、と10万くらいかかるのは高い...。

2010年6月18日金曜日

38億年生物進化の旅

池田清彦著

2010年4月28日水曜日

知らないと恥ずかしい ジェンダー入門

加藤秀一著

2010年4月28日

引き続き、仕事のために読んだ本。

ジェンダーとは何かについて書かれている。これは入門本。

「この本はジェンダーについてのほんとうの入門書です。みなさんがジェンダー論の豊かな知的フィールドに踏み出すために、最初の手がかりを提供したい。<ほんとうの>という意味には、そんな願いが込められています。」と最初にある。

とても面白く、分かりやすい文章だけれども、言葉の定義について語っているところなどは、頭がこんがらがりそうになる。ジェンダーとは何かを知りたい人はぜひ読んでみてほしい。間違ったことを書きそうなので、笑えたポイントを引用、ちょっと長いですが。

ところで最近、「男も差別されている」といった言いまわしをする人が増えてきたような気がします。中高年男性の自殺が増えるなど、日本の男性たちが直面している生きにくさがクローズアップされるようになるにしたがって目立ってきたように思えます。そういう背景を考えれば、この言いまわしに込められた意味は理解できなくはありません。
けれども性差別の全体を考えるなら、男性も(女性とおなじように)差別されているというのは言葉として不正確であり、差別という言葉の濫用と言うべきです。差別という以上、そこには集団ごとの序列化があり、差別する側と差別される側がある。そして、ジェンダーに関わる限り、男性が優位で女性が劣位というのが私たちの生きる社会の現実です。そういう最低限の基本的な意味をキープしておかなければ、まともな議論はできなくなってしまいます。
必ずしもそうではない、女性が有利なこともあると言いたくなる人がいるかもしれません。もしもそれが「全体的には男性のほうが女性よりも優位だが、なかには女性であることをうまく利用して、他の女性や男性よりもトクをしていいる女性もいる」という意味であれば、そういうこともあるだろう、としか言いようがありません。もちろんその逆に、男であるがゆえに、たまたま個人として損としているような場合もあるでしょう。けれどもそれが、「女性全体が男性全体に比べて優位である」ということを言っているのだとしたら、明らかな誤りです。そういう主張をする人が証拠としてよく持ち出す根拠には、電車の女性専用車両だとか、映画館の女性割引だとかいった、どうてもいいようなセコイ例が多いのですが、関東人の私でも思わず「アホちゃうか」と呆れてしまいます。そんなことを言うのだったら、映画館の男性割引をつくる代わりに、男性100に対して女性65という平均賃金の格差をさかさまにしてもいいんですね、と訊いてみたいですね。

ちなみに著者は男性。日本の社会で生まれ育っていなければ、私はアシスタントにはなっていないなというのが正直なところ。
まぁ、この辺は考え出すときりがないのでやめる。やはり枠からはなかなか逃れられないものだ。

2010年4月25日日曜日

女性を生かす会社の法則

植田寿乃著

2010年4月25日

この本は装丁がなかなか今風。(今風という言葉は今風ではない?うちにはテレビがないので最近世の中のことがわからない)

仕事で取り組むかもしれないプロジェクトのための勉強用に仕事と女性に関する本を数冊読んだ。そのうちの一冊。現在50歳くらいの方で、勤務されてきた日本企業での経験を元に書かれていると思う。
よっていかにも日本企業!という感じの風土について書かれていて、またそういう企業が対象に書かれているので、いわゆる外資系企業や国際的な企業に勤める人にとっては、「当てはまらないな」というのが多い。しかし、確かにうーんとうなずける。私が勤める会社は外国に本社を置く、外国資本の会社だけれども、50代-60代のわけの分からんおっさんは(あっすみません)、結構わけの分からん発言をする。こういう過去の遺物みたいな人たちは時々いる。過去の遺物の中でも素敵な人は、時代に適応しているため、意外に若い女性からも人気があり、外人からの評価も高かったりする。欧米人にとってみたら、50-60代のおじさん達の英語は相当意味不明なことが多い。というか、思考回路が伝統的な日本過ぎて、もうさっぱり意味がわからない。まず話し出して一文を終える頃には、主語がどこにいったかわからない。おまけに「察してください」風な話し方が染み付いているので、本当は何を求めているのか読み取れない。「何が言いたいんですか?」と切れそうになる。しかしこのおじぃさんは、とても仕事ができる方でプロフェッショナル。ここで私はどちらがいいかを主張している訳ではない。文化の隙間みたいなところにいるとその違いをよく感じるのだ。その違いが面白い。

ちなみに私はアシスタント、たまに秘書とも言われるような仕事なので、会社ではとても「おっさん何考えとんねん、意味わからん。まどろっこしぃ!はっきり言いたいこといいや!!!」などと切れることはできない...が心はいつもチンピラである。

と話は逸れたが、女性が生き生きと活躍できるような組織にするために何をすればいいか、何から始めればいいか、女性はどんなことで悩むか、何がキャリアの障害になるか、どんな支援があればさらによくなるか等が分かりやすくまとめられているので、大変役に立った。ありがとうございますと言いたい。

2010年4月24日土曜日

禁煙セラピー

アレン・カー著

2010年4月24日

これを読んでやめられるかというと、正直よく分からない。

いくつかの出版社から異なる形態で出版されている。私の買ったものはちょうど帯のところに「この本を読んでタバコをやめました!」というようなコメントと芸能人の顔写真が印刷されていて、本棚に置きたくない感じの表紙であることは確か。私は紙のカバーをかけない主義だが、この本だけはかけてある。

私はもう随分長い間タバコを吸って来たけれど、これを読んですぐにやめられなかった。
他にも色々な理由があり、ここ1ヶ月くらいは禁煙ができているので、この本の貢献も確かにあると思う。

書かれているように一日40本、50本もタバコを吸うようなヘビースモーカーに対してより効果があるかもしれない。

ただ、「喫煙者は中毒者」、「タバコは毒物」という考えを頭に染み付けることができたので、喫煙者の姿を見ると自由や健康を奪われたかわいそうな人と思えるようになった。

実際にこの本を読んで喫煙している方も多いと聞くが、そうするとこのアレンさんはすごい人だなと思う。自分の経験を人に共有し、同じような苦しい(本人は楽しい?)世界にいる人々を救うために行動を起こしたわけである。それも字面通り世界中にいる喫煙者を多く救ったわけである。なんて素晴らしい人なんだろうか。

2010年4月19日月曜日

二重らせんの私

柳澤桂子著

少し前に読んだので、ここから数冊はタイトルと著者名簡単な感想のみに...。

著者は現在70歳くらいの女性生物学者の方。

幼少期からの生物に興味を持ち、研究者としての道を歩みが書かれている。

御茶ノ水大学に入学し、アメリカへ留学。この時代は大学に行く女性自体も少なかった頃、両親はお嫁に行くことが女の幸せとして最初は反対したらしいが、女子大学ならという条件つきで研究の道に進んだ。

女性の社会進出が始まったのはそう昔ではないと気づかされる。40年くらい前に生まれていれば、私は高校にすらいけないかもしれない。

特に興味深く、興奮を覚えるのは後の歴史を変えるような大きな発見や、その名を残すことになった学者にその当時に出会っていること。

生物学やその歴史、当時の研究環境、日米の違いを知るだけでなく、情熱を持った女性の生き方としても勉強になる本。

2010年4月5日月曜日

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

福岡伸一著

生命、生命現象についていくつかの切り口から書かれている。一般向けに書かれているため読みやすい。
タイトルの動的平衡とは生命が動的に平衡を保っていること、つまり体の細胞が常に入れ替わりながらもバランスを保ち生命を維持しているということらしい。

今回学び、特に驚いたのは二点。
一つ目は胃の内部は体外にあたるということ。
「消化管の内部は一般的には『体内』と言われているが、生物学的には体内ではない。つまり、体外である。人間の消化管は、口、食道、胃、小腸、大腸、肛門と連なって、身体の中を通っているが、空間的には外部と繋がっている。それはチクワの穴のようなもの、つまり身体の中心を突き抜ける中空の管である」 
そしてミミズやナメクジの体にも一本の管が通っており、この消化管に沿ってある神経細胞で考えているらしいと、人間の消化管に沿って末梢神経が存在し脳で情報伝達に関わる神経ペプチドが消化管の神経細胞でも使われているとある。今のところなぜ神経ペプチドが消化管付近に大量に存在するのかはよくわかっていないらしい。

二つ目はカニバリズムを避ける理由。病気というのは鍵と鍵穴のような関係によって成り立つ。通常一つの種の病気は他の種には移らない。しかし、人が人を食べれば病原体をそっくりそのままもらってしまうことになる。実際にパプアニューギニアにクルー病という病気があり、これは死者の脳を食べるという風習が原因だったらしい。この風習をやめさせたところ、病気は一世代でなくなったと。

ザリガニとかハムスターとか結構共食いするが、病気にならないのだろうか。檻や水槽という狭い人工的な環境のせいで起こってしまい、自然界ではあまり起こらないことなのだろうか?

それにしても細胞が常に壊され、新しく作られ、そうした動きが私たちの体を維持しているというのは非常に不思議な気がする。
変わらないものは一つもない、私たち自身が常に変わっているのだから。
ヒトは思うより自分自身のことを知らない。

2010年4月1日木曜日

てなもんやOL転職記

谷崎 光著

先日読んだ「てなもんや中国商社」の続編である。中国商社を辞めてから、そこでの記録を書いた原稿を出版社に持ち込むいきさつ、他、全体に著者やその周りの人々について書かれている。どちらが笑えるかといえば圧倒的に「てなもんや中国商社」の勝ち。ただ28歳で会社を辞めて、何もなくなって家業を手伝いながら次の仕事をどうするか、自分が何がしたいか悩む辺りは今の自分と少し重ねて読んだ。10年くらい前の、社会が女性に、決められた枠の中で生きることを求めた時代において、仕事を大切に思う女性がどう人生を考えるかを知ることができたのが一番の収穫。
自分のやりたいことは決まっているが、改めて確認するために、現状を把握するためにも役に立つなと思ったのがこちらの言葉。当たり前に分かっているように思えることも紙に書いてみると新たな発見があったりする。

=引用始め=

ともかく、私は考えようと思った。
そもそも私は、本当は何をやりたいのか?
何ができて、何ができないのか?
何が一番得意なのか?
どうすれば満足できるのか?
働く時間は結構長い。朝から晩までやって嫌じゃないことって?性格的にどんなトクでも、嫌なことは続かない自分だけは知っている。
前の仕事の何が好きで何が合わなかった?
どこで働きたい?誰と働きたい?ひとりで?たくさんで?チームで?
何に向かって働きたい?人相手とか、モノとか、情報とか?
仕事で自分の何を使いたい?
もし自分にオカネも時間もチャンスも能力も全部あるとするなら何をする?
何より、死ぬまでにやってなくて一番後悔するコトって何?

=引用終わり=

特に最後の2つはとてもいい質問だと思う。
確認するために紙に書いてみた。私は両方ともに勉強すること書いた。特に何もかもあれば何をするか、については世界一周旅行とか、いいマンションに住むとか、上質な服や靴や鞄を買いまくることかと思っていたが、実は勉強がしたいらしい。結構安上がりでいいかもしれない。ちなみに得意なことは人を理解すること。ひとりで言語と向き合って仕事がしたい。自分にしか作ることのできない質の高い仕事の結果が適正に評価された上で高く売れること、で満足すると思う。やっぱり、通訳か翻訳。専門家が好きだ。

2010年3月28日日曜日

道は開ける

D. カーネギー著

誰もが知っている「人を動かす」の著者、カーネギーさんが悩みの解決方法について書いた本。この本を執筆するにあたり、悩みについて書いた本、古今の偉人の伝記数百冊を読んだそう。やはりすごい人というのは何事も徹底的にやる。
内容は悩みを解決するためのありとあらゆる手段、考え方、悩みを克服した人々の経験談が書かれている。
時代や場所が異なれども、人の悩みというのはあまり変わりないものだと思い知らされる。

本書は八章に分かれている。

1. 悩みに関する基本事項
2. 悩みを分析する基礎技術
3. 悩みの習慣を早期に断とう
4. 平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法
5. 悩みを完全に克服する方法
6. 批判を気にしない方法
7. 疲労と悩みを予防し心身を充実させる方法
8. 私はいかにして悩みを克服したか(実話31編)

この中で2の悩みの分析と解消法というのが今の自分には不足していて、今後役に立ちそうだと思う。
色々な悩みに対して問題を、事実の把握、事実の分析、決断および実行の三段階に分けて分析する。この事実の把握というのが意外にやっかいだと思う。私が私の問題を見つめる時、それは主観的な目であり客観的な目ではないから。しかしながら事実を分からなければ、問題を解決することは不可能である。

4.には「レモンを手に入れたらレモネードをつくれ」という章がある。レモンには不快なものという意味があるらしい。
つまり不運を自分の力によって好転させるということ。いいなと思う言葉がいくつも出てくる。
「真に重要なことは損失から利益を生み出すことだ」
「マイナスをプラスに変えるために1日16時間の勉強をしなかったら、何一つ実現しなかっただろう」(小学校しか出ていないが、4回もニューヨーク州知事に選ばれたアル・スミスの言葉)
「もしチャイコフスキーが不安にかられず、悲劇的な結婚によって自殺寸前にまで追いつめられなかったら、不朽の名曲『悲愴交響曲』は生まれなかったであろう」

そしてこれ、素晴らしいと思う。

「私たちが失望落胆して、もはやレモンをレモネードに変える気力も失せたとしても、とにかく二つの理由のために私たちは現状打破を試みなければならない。つまり、どちらからいっても、すべてが得で、失うものは何もないからである。
第一の理由 - 成功するかもしれない。
第二の理由 -  たとえ成功しなくても、マイナスをプラスに変えようとするだけで、うしろをふり返らずに前方を見つめることになる。」

成功するかもしれない。

いい言葉。

2010年3月26日金曜日

大腸菌

カール・ジンマー著

目の前がぱっと開ける感覚がある。

私の人生では13歳の頃、学校からの帰り道に「自分が考えている」ことに気づいた瞬間、ゴダールの「勝手にしやがれ」を観た時、フェリーニの「甘い生活」を観た時、ウォンカーウァイの色気ある香港を知った時、三島由紀夫の「金閣寺」を読んだ時にその感覚がやってきた。こういうのって個人的なパラダイムシフトとでも言えるのだろうか?シャガールがパリに行って色を知ったように、がつんと殴られたような感じの後に頭の中がバチカン美術館の壁のように鮮やかに彩られる。残念ながら「それ」はあまり頻繁には起こらない。あんなに鮮やかだった壁も時を経て、白黒に近いほど色褪せる。

一番最近起こった「それ」は「DNA」を読んだ時だった。
そしてこの本がまた「それ」をもたらしてくれた。

と興奮しているわりには内容がわからないのである。生物に関する基礎知識がないから全てをきちんと理解はできないのが残念でたまらないので、「好きになる生物学」をもう一度読むことにした。細胞の仕組みから学び直しである。その後に何度か読み返すことになりそうだ。
恒温動物の発生により快適な住まいを得たE・コリ(大腸菌)、鞭毛も必要に応じて作り出したり、くるくるそれを回して食べ物を探すために回転の向きを変え、コロッと方向転換するE・コリ、研究室で育てやすく遺伝子研究、生物進化の分野で重要な役割を果たしているE・コリ、長い時間をかけてセックス(遺伝子の交換?)をするE・コリ。著者のE・コリに対する敬愛が行間よりこぼれ落ちる文章でほのぼのする。

抗菌抗菌と一生懸命な時代だけれど、人間は菌と一緒に生きてきたどころか、細菌は私達の源であることを学べてとても幸せになった。一番衝撃を受けたのはどうもウィルスによって種が分化したらしいことだ。そんなこと専門に勉強した人にとっては当たり前の説なんだろうけれども、私にとっては人間が初めて飛行機で空を飛べたことくらい驚きである。

これまで勉強しなかったことをずっと後悔してきたが、多くの発見と感動が残されていると思うと、高校の頃からろくに勉強もせず飲み歩いていてよかったと思う。

まず一分間にうまくまとめる 話し方超整理法

福田健監修 山本昭生著

自分にとってこの本が役に立つか実のところあまり期待をしていなかったが、やっぱり役立った。選んで正解だった。
昔から人に物事を伝えるのが苦手だった。一対一で相手の話を聞きながら、相手が心地よいように話を進めるのは上手い方だと思う。確実に聴き上手だと思う。ただ、人に何か伝えようとすると、突然話し出すし、簡潔に伝えようと思うと情報が抜け、細かく伝えようとすると全部言いたくなって迷ってしまう癖がある。伝える能力が未発達のままこんな年になってしまったらしい。

という私には必要な本だ。

まずは1分間に話を上手くまとめるための言いたいことの組み立て方、それを発展させ3分間で話すと。

そういえば、過去に読んだ「3分間で成功を勝ちとる方法」の基本となる時間も3分だ。カップラーメンが出来上がるのも3分。ウルトラマンが地球にいられる時間も3分だけれど、3分とは長すぎてだらけることもなく、短すぎて物足りないこともなく、ほどよい期待を含んだ正に「塩梅がいい」感じなんだろうか?(カップラーメンに関してはお国柄に応じて、時間を変えてあるとどこかで読んだな...)

ところで、「トヨタ最強の経営」に影響を受けて会社内で「気楽にまじめな話をする場」を設けている。3ヶ月に一度くらいの割合でお昼休みに集まって何をしているかというとプレゼンテーションの練習をしている。テーマは仕事に関することなら何でもいい。
ちょうど先日、自分がプレゼンテーションをする番になった。改めて、研修に使ったテキストを引っ張り出して読んでみた。そこに書いてある構成が正にこの本に出てくる「四部構成法」だった。

結論→本論→序論→結論で伝えたいことを組み立てる。

今回、プレゼンテーションをしてみて感じたのだが、結論→本論→序論までは結構誰でも自然にできるかもしれない。
意外な盲点なのが、最後に結論を繰り返すところである。質疑応答などに移ってしまっておろそかになったり、既に話したことなので考慮をしていないことが結構ありそうだ。結論で伝えたいことを再度強調する、この効果は結構なもので、ないがしろにできないと思う。

普段の会話から意識しようと思っても、なかなか難しい。ただ意識して準備に臨んだプレゼンテーションは悪くない出来栄えだった。

ここには準備の大切さについてもとくと書かれていて、人前で話すのが苦手な人ほど十分過ぎるほど準備しろと。全くそう思う。ものごとは段取り、構成を決める準備が命である。

2010年3月21日日曜日

色で美人に生まれ変わる!

今井志保子著

手のひら、腕、髪、目などの色から診断して、人の持っている色味をまず2パターンに分ける。そこから顔つき等で4パターンに。
それぞれのパターンに似合う色が一覧になって載せられている。それを基本に洋服、靴、鞄等の色の合わせ方、化粧の色と服の色の合わせ方、アクセサリーについて、また自分が仕事、恋愛、普段の生活で、なりたいイメージを表現する色使いがきれいなイラストとともに書いてある。

あまり色の組み合わせを意識せず、感覚に任せて服を選んでいたので、意識をすると良くなりそうだ。しかも自分に似合う色は思いがけない色だった。うーん。

シルバーやゴールドよりもピンクゴールドが一番好きなので、ピンクゴールドが自分に似合うと知ったのは嬉しい発見だったが、どうも日本の昔からあるような淡い色味が似合うとされている、本当だろうか。試してみる価値はあるね。

絶対!ノーファンデ主義

潤子ララビュール著

ノーファンデ主義とはファンデーションを使わない主義らしい。この本を読んだ後にネットで調べたが、他にも例えば銀座ホステスだった現在本も出版している蝶々さんもファンデーションを使わないらしい。
ノーファンデ = ノーメイク ではなくて肌を美しく保つために負担の大きいファンデーションをつけないということらしい。
確かに私の母も、祖母もメークはしないけれど、肌はきれいな方だと思う。特に祖母は90を過ぎているというのに老人特有の大きなシミなどほとんどない。深い皺はさすがに口元にはあるけれど、ほほなんてつやつやで潤っている。

著者は現役のフライトアテンダントでもあり、当時の先輩から教わり25歳からずっとファンデーションをつけない主義らしい。ただ、日焼け止めとメークアップベースの両機能を持つものを使用されているようなので、ベースによっては結構塗っていることになるのではと思うけれど、この辺り、肌に取って何が一番いいのかまだ私には分からない。先日読んだ大人のスキンケアには日焼け止め、特にウォータープルーフは肌に対する負担が大きいので外出時間が2時間以内なら、日焼け止めなしでルースパウダーかファンデーションのみにし、日傘等で肌を守ることが勧められている。
ということは肌への負担ができるだけ軽い日焼け止めを使用するのがいいのかな?

今日早速試してみた。パウダーを一部のみに使い、ポイントメークはきちんとしてみた。まぁ、出社できないほどひどい肌ではない(と信じたい)。ちょっと人に近くに来てほしくないのと、直射日光下では見られたくないけど。そうこうするうちに肌が改善するだろうから、パウダーは使うとして、ファンデーションなしを試してみようと思う。

本の中身だが、ファンデーションをやめることで本来の自分を認めて、ありのままの自分を好きになるという精神面についても書かれている。アメリカに在住されているらしく、アメリカのかっこいい女性達を目にするうちにこってりと塗りこんだ肌に違和感を感じたらしい。そういえば、最近は変わってきたようだけれど、日本人は肌色ストッキングにヒールだが、西欧人は裸足にヒールのイメージ。(湿度の問題?)

それにしても、美容オタクが転じて化粧品まで作ってしまうとはすごいと思う。やっぱりとことん極める人はかっこいい。

2010年3月17日水曜日

人はダマシ・ダマサレで生きる

池田清彦著

本屋さんの文庫コーナーをぶらぶらしていたら、この本と目が合ってしまった。すると著者は生物学者とのこと、袖部分に写真があるかなんというか、ちょっといたずらっこのような素敵な表情である。きっと楽しい人だと思う。勝手な想像だけれど。
買うと決めたのは前書きの部分を読んで。

=引用=

トゲトゲという妙な名前の昆虫がいる。これによく似てとげがないものをトゲナシトゲトゲという。昔、本文にも出てくる小宮義璋先生とタイの山奥に虫採りに行ったことがある。夜中に寝入ったばかりの頃、「大変だ、池田君」と言って小宮さんに起こされた。ねぼけまなこの私に向かって小宮さんはうれしそうに言ったのだった。「このトゲナシトゲトゲ、とげがあるぞ」
トゲアリトゲナシトゲトゲの発見である。

=引用終=

心をくすぐられた。ふふふっという感じ。トゲトゲ。トゲナシトゲトゲ。こういうユーモアのセンスが好きだ。

上のトゲナシトゲトゲは人間が騙された(?)一例だが、昆虫や動物は別に騙している訳じゃなく、人間がこちらの価値観を自然界に押し付けて勝手に騙した騙されたと騒いでいるだけ。
世には現象があり、現象は常に変わる。一方で概念は不変でこの世には実在しない。人間は概念を実体化することで自らを騙す稀有な動物、とある。やっぱり生物が好きな人はちょっと人間嫌いの気があると思うのは私だけ?

概念を実体化して、それによって苦しめられる。そういえば先日読んだ「妬み」も概念だ。何を読んでもずっと自分が本来の形からずれてきたことばかりに考えがいく。そう全ての本が私にそう語りかけているよう。好きなことをするということ、概念ではなく現象を見ること、本質からずれないこと。

私はどうも虫や動物について書かれた部分ばかりに興味が向いてしまうが、世の中のダマシ、ダマサレについて環境問題、政治、政策、法律、教育等の視点から書かれている。実は「こんなに騙されている!」ということを書いた本や情報はあまり好きじゃない。騙されても幸せならいいんじゃないかと思う。

しかしながら、世に流れている情報や物を異なる視点から見るという意味で、時にはこういった本を読むべきだなと思った。何よりも驚いたのは地球温暖化について。実は地球が温暖化しているか、寒冷化しているか分からないと書いてある。太陽の黒点が薄くなった過去に地球は寒冷化したそうだ。丸山茂徳さんという地質学者は後5-10年で地球は寒冷化すると主張されているらしい。びっくりである。実際のところは地球がどちらに向かっているかわからないらしい。寒冷化を止めようと二酸化炭素を出してかろうじて守っているかもしれない、と。

本当に勉強になった。ふらふらと別の本屋に立ち寄った時、「38億年生物進化の旅」というタイトルに目が止まった。中をざっと読んでみて、著者名を見て、あれどこかで聞いたことがあるなと思ったら、この方の本だった。生物系の本があるあたりをチェックしていたので、ありえる偶然だが運命的なものを感じた。そもそもこの本屋にある生物系の本はほんの20冊くらいで、またこの本を読んだ直後だったので余計に驚いた。

絶対読んでやる。

2010年3月16日火曜日

中国てなもんや商社

谷崎光著

またまた会社の方に借りた本。一体私は彼から何冊本を借りたのだろうか?
「おもろいから送ろうか~?」と、そしてまた電車の中で読むなと指令が...。

新卒で中国貿易商社に入社した女性の奮闘ぶりが書かれている。ノンフィクションで、小林聡美さん主演で映画化もされたらしい。面白いだけではなく、中国貿易の実情や、中国という国の文化、また彼女を取り巻く上司や同僚の人柄が温かく描かれている。1999年に出版されているので、11年の間に中国事情も変わっていると思う。現在の中国貿易をよくご存知の方が読んでも比較ができて面白いかもしれない。

笑ったところを引用。中国から届いた商品を検品している場面。

=引用=

「あっ、このTシャツはまともだ!」
「ああ、それね。着てみると首が入りません。」

整理すればするほど出てくるのは信じられない商品の数々だ。穴が小さすぎて、まったくボタンのかからないシャツ。中国製の刺繍糸を使ったため、色落ちして白地に黒や赤の濃色がにじんでいるブラウス。胸にエンブレムの刺繍をしたジャンバーは、糸きりが全くされておらず、五色の蜘蛛の巣状態である。
そしてきつく編みすぎたらしいカチカチのセーター。パッケージもデザインも大人向けだが、広げると子供サイズである。

---中略---

「うちの乙仲さん(通関業者)がな、万貿易の輸入した傘持って、社内販売の黒いトレーナー着て、子供連れて遊園地に行ってん。そしたら雨が降ってきてな、傘を広げようとしたら不良品で開かへん。ずぶれになったらトレーナーが色落ちして、抱いてた子供が真っ黒になってん。次の日、お宅の会社、本当に大丈夫ですか?って聞かれたわ」

=引用終=

子供真っ黒って。 続編の「てなもんやOL転職記」も楽しみだ。

2010年3月15日月曜日

妬まずにはいられない症候群

加藤諦三

勝間さんの「断る力」に紹介されていて興味を持ったので読むことに。文庫本を開いた袖部分に「ある人を妬み、その人に対する感情だけで人生を終わるという、もったいない人生を送る人が多い。この本はある人を妬み、その人との感情的いきさつだけの狭い世界で生きないで、もっと大きな可能性を求める人生を送るためにはどうしたらよいか、ということを考えた本である。」とあるのだけれど、「どうしたらよいか」についてあまり書かれていないと思う。

では何が書かれているかというと妬みがどういう仕組みで生まれるか、主に「妬む人は~だ」という文章が繰り返される。なんだか著者自身の苦しみみたいなものが伝わって来てしまった。

これは確かにそうだと思ったのはこちら。

「前向きに自己実現することに関心のある人は、他人のあらを捜してもそれは自分の人生を意味あるものにするためには何の役にも立たないということを知っている。そこで、前向き生きる人は、他人の欠点を探し出すことにそれほど興味を示さない。しかし前向きになれない人の最大の楽しみは、他人の欠点を探し出すことである。」

こんな風に書かれると他人の欠点を探してしまったら極悪人みたいだけれど、誰でも誰かの欠点が目につくことはあると思う。そういう気持ちがふとした言葉から窺える時がある。結構自信があり、輝いているように見える人がそういう言葉をふと漏らすと、この人は本当は自信がない人なんだなぁ、と思う。私は改善はしたものの、自信があまりない。あんまりいいことじゃないけれど、他の人もそうなんだと少し安心したりする。

他にも色々と思うところがあって、ここでいう自己実現することに関心のある人 = 私が思う好きなことに集中している人 = 人生を本当に楽しんでいる人 というのは本当に数パーセントしかいないと思う。一般的に見れば成功している人でもよく観察してみると、当てはまる人はあまりいない。世の中に好きなことをしている人は本当に少ない。大半は誰かや何かに応えるためにがんばっている気がする。ただ、反応するために。そう、体に染み込んだ枠から抜け出すのは、とても難しい。

というわけで、これからは他人に応えることではなく、自分の好きなことを中心に生きていくことに決めた。だいたい、好きなことをやっていたらうだうだ妬んだり、後ろ向きになっている暇なんてない。若い頃はそうやって暮らしていたこともあるのに、年齢を重ねるうちに本当は重要ではないことを、最重要事項に設定して生ききたようだ。一番の要で大きな勘違いをしていたらしい。

2010年3月11日木曜日

むくみが消えるリンパマッサージ

廣田彰男 著

体が歪んでいたり、肩こりがひどいので、近頃真剣にその解消に取り組んでいる。実はマッサージについて書かれたページはそれほど多くないが、むくみの種類、原因、むくみが起こる仕組み、リンパの働きなどについてわかりやすく説明されている。
むくみはもともと人間が二足歩行を始めてしまったことに発端がある。重力の影響を受け、心臓のポンプ作用だけでは体中の血液や水分を引き上げにくくなってしまい、皮下組織に滞った余分な水分がむくみとなる。

そこで読んでいて心臓の働きがよく分からないので、インターネットで調べてみた。中学生用のサイトが見つかり、作成しているのは学校の先生だろうか、とてもわかりやすく、手作りとわかる心臓の図もほのぼのとしている。テストで心臓の絵が出て右心室で右心房か左心房か一向に覚えられなかったのに、今はばっちり分かる。
私はもしかして、本当に頭を全く使わずにテストでそれなりの点を修めて、それなりの大学に入学したのだろうか?

こんなに物事を理解せずに生きてきたなんて!!!随分損をしてきた...。

でも最近になって自覚ができてよかった。まだ人生は長い(かもしれない)のだ。実はまだ血管と細胞間のやり取りの部分がはっきりと分からないので、勉強中である。医者を目指せばよかったと最近つくづく思う。生物というか体というかその仕組みが本当に面白い。細胞や体ことを考えると全部私なのだけれど、全てが私のものではない気がする。例えば腸内には100兆個以上の腸内細菌が住んでいる。なんというかそういうちいちゃい子たちと一緒に住んでいる。ばらばらの私達が。私のものではないのが当たり前なんだ。

夢はどんなことがあっても諦めるべきではない。子供の頃の夢は獣医だった。ちょっとばかし人間嫌いだから、合っていたと思う。

2010年3月7日日曜日

ローマ人の物語 1 ローマは一日にして成らず(上)

塩野七生著

ラテン語をいつか勉強したいと思う。ライフワークみたいに。

何が好きかって、ヨーロッパの古い建物に刻まれているあのラテン文字の見かけがまず大好きで、カタカナで表記されていたってその見かけと音が好き。ユビキタスとか。英語の病名や動植物の学名も素敵なものが多い。

atrophoderma vermiculatumなんて日本語では「虫食い状皮膚萎縮症」らしいけど、アルファベットだけ見ているととてもセクシーである。"um"がたまらない。claustrofobiaなんて一目ぼれである。意味は閉所恐怖症だけど。xenofobia(外国人恐怖症)もいいね。本の中身とはあまり関係がないような気がするが、ついつい燃えてしまった。

ローマの歴史、この巻ではローマがどうやって興ったかから書かれている。そして当時のローマを理解するのに欠かせないギリシアについても。

歴史は教養としてある程度知っておくべきだと、高校生の頃から思って何度となく、歴史を読もうとしたがいつもつまらなくてやめてしまった。それが、この本、面白い。まぁ、好きな地域と好きな時代だからかな。この時代の戦いや鎧(戦闘服?)もおそらく好き。中世くらいまでの戦争と武器と鎧が結構好きである。

ローマを建国したロムルスは、映画「トロイ」を見た人なら、ご存知のようにトロイの陥落から逃げ延びた者の子孫とずっと信じられて来たらしいが、後に年月の計算が合わないことに気づき、別の伝説が生まれたようである。あの有名な狼が双子に乳を飲ませる姿の像はこの伝説の一場面を表している。

ローマが誕生し、王政から共和制までがここでは書かれている。王政といってもローマの王政はなんと民に選ばれた人が終身制でなったらしい、世襲制ではないとはちょっと普通に想像する王政とは違う。そして共和制は「ローマは一年ごとに選挙によって選ばれる人々によって治められ、個人よりも法が支配する国家になるのである」と描写される。

なるほどと思った部分をここに引用する。

「『ローマを強大にした要因は宗教についての彼らの考え方にあった』 ローマ人にとっての宗教は、指導原理ではなく支えにすぎなかったから、宗教を信ずることで人間性までが金縛りになることもなかったのである。」

ちなみに仏教でも人間性は金縛りにならない気がする。この辺からは要約する。ローマ人は狂信的でないために排他的でも閉鎖的でもなく、異教徒、異端の概念にも無縁、戦争はしたが、宗教戦争はしなかった。、ただ、宗教の代わりに何かしらの自浄システムを持つ必要があり、それが家庭であり、そして法律であった。宗教は共有する人同士でしか効力を発しないが、法律は共有しなくても有効である。人間の行動原理の正し手を宗教に求めたのがユダヤ人、哲学に求めたのがギリシア人、法律に求めたのがローマ人。うーん、素晴らしい一文。

さて、日本人にかかわらず、現代人は行動原理の正し手をどこに求めているのだろうか?日本にはそれがなくてみな迷い子のようになっている。自分の常識がもはや他人の常識ではないことを気がついていない。黙ったままで、相手に自分と同じ行動を期待するのにはもう無理がないだろうか?私達は実は「みんな同じ」じゃなかったことをそろそろ公けに認めてもいいような気がする。それとも、異なる文化圏の人との日常があるからこう思うのだろうか。

満員電車で無言でぶつかっていくのはやめた方がいいね。せめて「ごめんやしぃ、ごめんやし、ごめんやし」くらい言いながら突っ切って欲しい。

2010年2月27日土曜日

The Lady and the Unicorn

by Tracy Chevalier

クリュニー中世美術館に「貴婦人と一角獣」という名前のタペストリーがある。パリに住んでいた頃、この美術館が好きで数回たずねた。ルーブルは確かにすばらしい、オルセー美術館も素敵だった。でも私はこの美術館が一番好きだった。あらゆる点が私好みだった。その佇まいも、所在する場所も、そしてもちろんこのタペストリーが何よりも好きだった。

この本はそのタペストリーから作者が想像したフィクション。作成までの背景や詳細が謎とはいえ、判明している事柄については限りなく真実を裏切らないように書いているらしい。

ある貴族がタペストリーを注文してから完成するまでの数年の間のお話。貴族の一家、美術商、原画を描く細密画家、タペストリーを織るベルギーの職人達、とタペストリーにまつわる登場人物の間で起こるできごとが、一人称で語られる。話し手は一章ごとに変わり、口語の英語なので読みやすい。(たまにフランス語も出てくる)サスペンスのように特に何かが起こって、もしくは謎解き、というわけではないのだが、面白い。

このパリの細密画家は女好きで、お手伝いさんを妊娠させたり、この本の中だけでも三人の女性と関係を持ったり、持ちかけたりする。タペストリーの作製を依頼した貴族の娘を一目見た時から、彼女を手に入れたいと望む。そして貴族の少女も同じく。階級の違いが障害を作り、二人はさらに求め合う。しかしながら、階級の異なる貴族の少女と画家の恋愛物語と言ってしまうとちょっと違う。求め合う力がより性的な衝動に基づいている。

ユニコーンが象徴するものを知っていれば、すこしばかり官能的に描かれていることに納得する。

私の興味を引いたのは貴族の女性の自由を奪われた生活、その女性達の抗うことから運命へ従う諦めのような変化、タペストリーを作成するまでの過程、タペストリーと絵画の違いなどだ。

絵画は例えば少し下がって見る、全体を見るように作られているが、タペストリーは目がとどまったどの部分でも見た人を楽しませるようにできていなければならない、というように書かれていた(はず)。

細密画家が通常描くサイズはタペストリーよりも格段に小さく、その絵をタペストリーを織るために引き伸ばすと、空白の部分が大きくなる。そこで職人達はその空白を生めるために花や動物の模様を足すよう助言する。

おもしろい。

ところで、この本の作者は映画にもなった?「真珠の耳飾りの少女」の作者である。
ぜひこちらも英語で読んでみたいと思った。

今、英語で読んでいるトルコの小説には装丁家が出てくる。そして塩生七生さんのローマ人の物語には、文庫版を出版するにあたってなのか、本の装丁について書かれている。「本造りにはグラッツィア(優美さ)を欠いてはならない」とイタリック文字を考え出したアルドの言葉が引用されている。

どうでもいいガラクタが氾濫する世の中、きちんと造られたものの美しさを忘れないでいたい。

2010年2月21日日曜日

大人の本当に正しいスキンケア

吉木伸子著

皮膚科の先生が書かれた本。近頃、肌の乾燥がひどくて、このままではまずいと思い肌について勉強することに。すると色々なことがわかった...。

私はパウダーファンデーションの粉っぽい感じとか、立体感がなくなってのぺっとする(技術がいるらしい)のが嫌いで、化粧を始めた頃からリキッドファンデーション。(ちなみにパウダーファンデで化粧直しをする時の女性の手の動作もあまり好きではなかったりする。)
ところが、リキッドファンデーションは一番肌への負担が大きいそうだ。きゃっ!週末よくやっているが、ルースパウダーのみが一番負担が軽いらしい。

乾燥するから仕方がないので、使用するクリームもどんどん濃い(?)ものになってきていたが、どうも肌とって一番いいののはビタミンC誘導体が入った化粧水と、何にもまして重要なのが美容液らしい。どちらかというとリッチなクリームなどは40代以降に使い始めれば十分なようだ。

近頃お気に入りの美容ブログを見つけて、そこに書いてあることとも一致する。(このブロガーさんは、女性として尊敬できる素敵な方!)

よく化粧品メーカーがパンフレットなどに使用する、皮膚の断面図も記載され肌の仕組みについても説明されている。肌の状態は死んだ細胞でできた角質層の状態で決まる、とある。通常は30%ほどの水分を含んでいるがこれを下回ると乾燥肌に。ところでこの死んだ細胞がはがれてターンオーバー、というのは良く分かるが、身体内部で死んだ細胞はどこへ行くのだろうか?全部生きているのかしら?

2010年2月12日金曜日

日本人の源流 - 幻のルーツをたどる

小田静夫著

日本人がどこからやって来たかについて様々な角度から書かれた本。
しばらくお休みしていたDNAがここで自然に私の目の前に現れた。
「チョットワタシタチノコトワスレテナイデスカ?」とくるくるした子達に責められている気がした。あの数と長さのDNAに襲われたら大変だ。逃げられない。でも私のDNAなら、私を襲うために体内から出る時点で壊れているということだからありえないね。

全ての人種のルーツはアフリカの黒人にあることは知っていたが、そこからどんな経路を辿って日本まで来たのかははっきりと知らなかった。この本によれば、黒人は中近東で西と東に別れ、西へ向かったヒトがヨーロッパ人に、東へ向かったヒトは多くの地域へと広がっていた。東に向かった集団の一つがモンゴロイド、そのモンゴロイドがヒマラヤ山脈にぶつかり、南北へ進路を分かつ。南へ向かった古モンゴロイドは東南アジア、日本、オセアニア等へ、北へ向かった新モンゴロイドは北、中央、東アジアへ。
この南に向かった古モンゴロイドがどうも縄文人の祖先らしい。そして、しばらくの時を経て、北へ向かった新モンゴロイドが弥生人として朝鮮半島から日本へ渡って来る。つまりとても大雑把に言ってしまえば、日本人はヒマラヤ山脈で一度二手に分かれたモンゴロイドが、再び出会った人種のようだ。

そして弥生人の勢力は強く、昔からいた縄文人に近い人々は南北に追いやられ、現代日本人の血の7割は新モンゴロイドらしい。ちなみに南北に追いやられた(?)縄文人は沖縄やアイヌの人々の中に特徴として残っているらしい。確かに沖縄やアイヌの人の顔つきには地域的な特徴、そして目鼻立ちがはっきりしているところに共通点がある。

頭の長さ、食べ物、当時の風習、埋葬方法、言語とあらゆる点から日本人の源について書かれたこの本は素直に面白い。

実はこの本は数年前に亡くなった姉の本棚から見つけた。生前、「私とあなたは同じ作家の本でも異なる作品を好むね」と言っていたが、生物なんかに関してはまんざらそうでもないらしい。そういえば、脳についての本も二冊発見。当時、脳ブームでもなんでもなかったことを思うと、なぜ興味を持ったものか、ちょっと不思議な気もする。

今頃、彼女も天国でDNAだか大腸菌だかの本を読んでいるかもしれない。

2010年2月7日日曜日

小泉純一郎の軍師飯島勲

大下英治著

飯島氏が小泉さんの代議士秘書になった頃から、内閣総理大臣秘書官となり、小泉内閣の終了までについて、書かれている。いまどき珍しいかもしれないけれど、私は逆境を乗り越えて成功する人の話が好きだ。何もかも与えられてきれいにクールに要領よく生きている人には正直あまり魅力を感じない。お腹の裏側にある強い力みたいなものが感じられないから。いざという時になにくそっと大きな牙をむき出して、食いちぎるような力を持つ人は恐れとあふれ出るようなパワーを感じさせる。
平和に満ち溢れ、戦う必要がほとんどない今、強いということ程、魅力的な要素はない。強ければ安心して守ることも、守られることもできる。
飯島さんはきっとそういうパワーを放っている方ではないかなと想像する。(私の家にはここ数年テレビがないため、飯島さんが話したり、動いたりしている姿を見たことがない。)

ところで私は会社員で、アシスタントをしている。飯島さんの小泉さんに対する忠誠心のような気持ちが少し理解できる。そこまで強いものではないかもしれないけれど、似たような気持ちを上司に持っていると思う。これはとても不思議な感覚である。おそらく相性がよくなければ、こういう風には感じない。何よりもサポートする側は人間として相手を尊敬しているがゆえに成り立ち、そしてサポートされる側はその誠意にきちんと応える。

誠意にきちんと応えるのには何段階かあり、まずは誠意をつくしていることに気がつく、そしてそれを言語で表現し感謝の気持ちを伝える、報酬を与える等がある。私は何名かの上司についたことがあるが、全員誠意をつくしていることには気がついている、しかし表現をするのが圧倒的に下手、もしくは全くしないのどちらかである。日本人はおおよそ二段階目が飛んで、感謝を言葉では表さないけれど、ご飯をごちそうしてくれたり何か買ってきてくれたりという風になる。ただ、それもさすがだなと思ったのは以前勤めていた会社の社長、私に不満があることを知ってお昼に誘ってくれ、こちらが断ると(今考えると断るなよ!)女性が好きそうなおしゃれなクッキーを買ってきてくれたのである。正直私は甘いものがそれほど好きではないので、クッキー自体はたいしてうれしくもなかったのだが(もちろん喜びを表明した)、なんとも絶妙のタイミングとセンスの良さにとても驚いた!やがて6年も前の出来事だが忘れられない。この方は本当にすごい方で、なるほどと思った。2段階目をすっとばしても効果大である。すごい人というのはおそらくそれほど意図しなくても物事のバランスやタイミングやリズムが絶妙なのだ。そう心地の良いリズムを持っている。

この本は小泉内閣時代に世間で話題になったことやその裏側について多くが書かれているので、小泉さんと飯島さんのお人柄についてはあまり触れられていない。それでも二人の絆がとても固いというのはわかるが、もう少しそこを掘り下げて知ってみたいと思ってしまった。つまり忠誠心とは何か?何がそこまで固い絆を作らせるのか?

母親が言っていた、人気のある首相の時は秘書も存在感があるね。そうじゃない時は誰が秘書かさえも知らないものね。
有能な人だから有能な秘書を選ぶのか?それとも有能な人は部下を上手く開発させる能力を持っているのか?やはり相性なのか???

2010年1月14日木曜日

データはウソをつく-科学的な社会調査の方法

谷岡一郎著

おもしろかった。この方も研究者。
別に研究者に関係ある本を選んでいるわけではない。
これは会社のマネージャーさんからお借りしたうちの一冊だ。

新聞、メディア等がどうやって数字を操作し、意図する方向に人を誘導しているかがわかる。
仕事で数字を取り扱うのが主な仕事のため、作り方次第でまったく異なる印象になることは知っていた。

そのせいか新聞等でグラフを見かけると、実はいつもよく理解できないでいた。(ただ、単に頭がよくない?)
というのは、そこにある情報だけじゃ、ちょっとそうと言い切れるか判断しがたい、もっと細かく知りたいんだけど。といった感じ。

第五章あたりで、世にあふれる情報をどうやって本物を見分け、上手く選択するか(ちょっと違うかも)に必要な大前提の能力が提示される。何しろ私は全てにおいて十分ではない。
特に教養...。本当に世の中のこと何も知らず。

この能力があれば、新聞グラフ問題も片付くのかもしれない。

2010年1月12日火曜日

容疑者Xの献身

東野圭吾著

姪っ子が「面白かったから読んでみて」と貸してくれたので、読んでみる。
サスペンス?は松本清張さんや子供の頃、赤川次郎さんの本を読んだけれど、最近はほとんど読んだことがなかった。平日の通勤電車から読み始めて当日中に読み終わってしまうほど、ぐいぐいと読者を引き込んでくれる。サスペンスとして面白いだけではなく、生きることの切なさを感じさせる本だと思う。

ちなみに容疑者X = 石神が数学者というところに個人的には興味深々。
四色問題って初めて聞いたけど、何々???

かっこいいなと思ったのが、最後の方にこの天才数学者が自分に語るくだり。

「誰かに認められる必要はないのだ、と彼は改めて思った。論文を発表し、評価されたいという欲望はある。だがそれは数学の本質ではない。誰が最初にその山に登ったかは重要だが、それは本人だけがわかっていればいいことだ。」

「それは数学の本質ではない」
「それは数学の本質ではない」
「それは数学の本質ではない」

何においても、この本質からずれないでいることは思うより難しい。
純粋な情熱や愛や興味を持ち続けていられれば、本質からそれほど遠ざからないでいられるだろう。