2010年7月2日金曜日

人生と仕事について知っておいてほしいこと

松下幸之助著

まぁ、なんというかこの方の言葉が私は好きだ。本当に反省させられる。
昨年は自信を持つというのが仕事における私の達成すべき目標だったのだが、さて少し自信を持ち始めると人間というのは奢るものなのではないか。こういうところで未熟さを露呈することになるのだが、自分のやり方でやっていることを邪魔される(たように思う)と腹が立つ。なんで後から入社してきたのに我が物顔で命令するのだろうかと、しかし会社では面と向かって言えないし、それどころが本人は特に悪気がなく一生懸命仕事をしているだけである。だから怒るわけにもいかず、一人うらうら(?)と影で恨みが溜まるのである。つまりは言いたいことを平和を保ちながらいう技術がないのだ。

と話がそれたが、紹介したい文章がいっぱいの本である。若い人達に向けて語った言葉を主に集めた本だ。あえて紹介するならこちらかな。

勇気を持って「寝込みを襲う」ことができているか

私の宅に、ある会社の人が朝の七時ごろやって来る。門を開けるのを待っているんですね。「きみ、なんやね」「いや、平生会社で会えませんから、こういうときにははなはだ失礼で申し訳ないけれど、ぜひお目にかかりたい」「えらいきみ勉強家やね、なんやね」「実は私どものこれをひとつお勧めしたい」というのようなことを言って持ってくる。
「えらい早くから仕事して、きみ、つらいやろ」ときくと、「いや、ちっともつらいことありませんわ。これ面白いんです」と、こう言う。「きょうは社長に会えると思って面白うてやってます。もう希望で満ちてますねん」というようなことを言う。ほんとうはそうかどうかわからんけどね。そういうことを言うんやね。そうすると、「まあ、ちょっと上がりたまえ」となるわけやな。そこでそのものが成り立って成功ですわな。

この後松下さんの言いたいことが続く。朝早くに訪問して嫌がられないかなと考えながら行くと足も進まず成功しない。悪いことをしに行くのではないのだから、この商品を売って相手がどんなに幸せになるだろうかという心構えで売りに行く。いいことを与える、喜びを与えると考えながら行くと勇気凛々としていけると。

これは本当にそうで、例えばちょっとしたことでも「申し訳ないんですが」を強調すると相手もお前が悪いやろというような雰囲気が増長する。あっけらかんと、明るくしている方が相手もその空気に飲み込まれて、明るくなる。
そういえば、サービス業の接客でたいしたことではないのに「申し訳ございません」と悲しめの顔をして言われるとなんだか本当に悲惨な気がするもので、うっとおしいとまで思う。そんなに謝らなくてもいいじゃないか、世界が終わるわけでもあるまいし。

また話がそれたが、他にも日本人とはこの頃と変わっていないんだなと思う文が。

日本は、人が上に登ろうとするのを引っ張り下ろそうとする。だからなかなか上へ登れない。そうではなく、これが理想的な国柄であるというこで上へ上がりかけたら、「よし上がれ」と、こう言うて上がらせる。みな上がってくる。いちばん最後に「おれも引っ張ってくれ」とこうなる。全部石垣の上に上がってしまう。「上がってみると、むこうはきれいだなあ、面白いなあ」というよなものですわ。きわめて簡単なことです。きわめて簡単なことができないところに、私は国民性の弱点というものがあるように思うんです。

最近自分にも妬みや嫉妬という感情があることを改めて認識してしまったので、これは最近余計に納得する。スポーツ選手が日本を離れアメリカに行って大活躍することがあるが、こういった文化の違いが大きく影響しているのではと思う。